慶應法学部2025年小論文:解答と問題解説 / ローマ法3引用の意味と答案作成例
慶應法学部は2025年から小論文の形式が変わりました。
試験時間が90分→60分になったことで、長めの課題文を読ませる試験から、短い文章を与えられて考える問題になりました。

2025年の小論文は、あまりにも手がかりが少なく、戸惑った受験生も多かったと思います。
その証左に受験の最上位層が受験しているにも関わらず、平均点は50点を下回りました。
慶應法学部2025平均点と合格最低点
| 学科 | 試験科目 | 配点 | 計 | 受験者平均点 | 合格最低点 |
| 法律学科 | 英語 | 200 | 450 | 105.34 | 253 |
| 日本史 | 150 | 49.02 | |||
| 世界史 | 150 | 65.6 | |||
| 小論文 | 100 | 47.48 |
| 学科 | 試験科目 | 配点 | 計 | 受験者平均点 | 合格最低点 |
| 政治学科 | 英語 | 200 | 450 | 107.48 | 251 |
| 日本史 | 150 | 55.16 | |||
| 世界史 | 150 | 68.08 | |||
| 小論文 | 100 | 47.32 |
本記事では、慶應法学部2025年小論文を
- ローマ法三引用の読み方
- 設問の要求の整理
- 800字答案の作り方
を中心に、初学者でも理解できるよう解説します。
慶應法学部2025小論文の課題文は何を意味するのか?
先述した通り、2025年の課題文自体は非常に短いものとなりました。
法と正義に関して、ローマ法大全には次の学説が収録されている。
・「法とは善と衡平の術である。」(学説彙纂 第1巻 第1章第1法文前文)
・「正義とは、各人に各人の権利を分配しようとする恒常不変の意思である。 法の掟とは以下のこと、 すなわち、誠実に生きること、 他人を害しないこと、 各人に各人のものを分配することである。」 (学説彙纂 第1巻第1章第10法文 前文)
・「たしかに過酷ではあるが、 法律はそのように書かれている。」(学説彙纂第40巻第9章第12法文 第1節)
以上を踏まえ、「法律の適用は正義の尊重と両立可能であるか」について、 両立可能とする立場・両立 不可能とする立場から、 それぞれ (経験や体験ではなく) 普遍的な例を論拠として示しつつ、800字以内 で客観的に論じなさい。
慶應義塾大学 法学部 2025年小論文入試問題より
課題文をものすごーく噛み砕くと、以下の内容になります。
【理想】法は善と公平を目指して作られている(正義を目指すが、正義ではない)
【定義】正義とは正しい権利配分である
【現実】しかし、法は一律のルール故に救えない事情もある
さらに表にすると、以下の通り整理することができます。
| 引用文 | 意味する内容 | 小論文での活用法 |
| 法は善と衡平の術 | 【理想】 法は、社会の良心と公平を実現するための手段。 | 「両立可能」の根拠。 法の目的そのものが正義の実現にあるとする立場。 |
| 正義=各人に各人のものを | 【定義】 正義とは、一人ひとりに「ふさわしい取り分」を正しく配分しようとする一貫した意思。 | 論述の「基準」として使用。何をもって「正義」とするかの定義をここから引用する。 |
| 法は過酷なこともある | 【現実】 法は一律のルール(一般性)であるため、個別の事情を救えない矛盾を抱えている。 | 「両立不可能」の根拠。 法の形式的な適用が、かえって不正義を生む「法の限界」を指摘する。 |
この整理を元に「法律は正義を実現する装置だと言えるのか、それとも正義を損なうことがあるのか」を論じる試験です。
それでは、一文ずつ詳しくみていきましょう。
「法とは善と衡平の術である」とは何か?
法とは善と衡平の術である。(学説彙纂 第1巻 第1章第1法文前文)
衡平さえ分かればなんとかなりそうな一文です。
衡平とは、「公平」や「バランスがとれている」という意味です。
それを元に、この文章を意訳も交えつつ何個か言い換えてみます。
- 法はただ人を縛るものではなく、社会をより良くし、みんなが平等に幸せに暮らせるようにするための道具や手段である。
- 法律とは、人々の間に「善いこと」と「バランスの取れた公平さ」をもたらすための、知恵と技術である。
- 法律とは、社会をより良くする(善)ために、人それぞれの事情を考えながら(衡平)、現実的に問題を解決していくための手段(術)である。
短く雑にまとめれば、「法は善と公平のための手段である」となりそうですね。
| 引用文 | 意味する内容 | 小論文での活用法 |
| 法は善と衡平の術 | 【理想】 法は、社会の良心と公平を実現するための手段。 | 「両立可能」の根拠。 法の目的そのものが正義の実現にあるとする立場。 |
| 正義=各人に各人のものを | 【定義】 正義とは、一人ひとりに「ふさわしい取り分」を正しく配分しようとする一貫した意思。 | 論述の「基準」として使用。何をもって「正義」とするかの定義をここから引用する。 |
| 法は過酷なこともある | 【現実】 法は一律のルール(一般性)であるため、個別の事情を救えない矛盾を抱えている。 | 「両立不可能」の根拠。 法の形式的な適用が、かえって不正義を生む「法の限界」を指摘する。 |
なぜ「正義」ではなく「善と衡平」なのか
「法とは正義そのものである」と言っても良さそうですが、そう言ってしまうと、
- × 法が間違うことはない
- × 法に従えば必ず正しい
といった話になってしまいます。
実際には、
- 法が時代遅れになることもある
- 法の運用で苦しむ人もいる
だから古代ローマ記述を、思いっきって解釈すれば、こう言い換えることもできます。
法は「完璧な正義」ではない
「善」と「衡平」を目指して工夫する技術である。
法律の目的が正義
「正義」ではなく「善と衡平」と述べるこの文は、法の限界を最初から織り込んだ考え方だと読み取れます。
| 引用文 | 意味する内容 | 小論文での活用法 |
| 法は善と衡平の術 | 【理想】 法は、社会の良心と公平を実現するための手段。 | 「両立可能」の根拠。 法の目的そのものが正義の実現にあるとする立場。 |
| 正義=各人に各人のものを | 【定義】 正義とは、一人ひとりに「ふさわしい取り分」を正しく配分しようとする一貫した意思。 | 論述の「基準」として使用。何をもって「正義」とするかの定義をここから引用する。 |
| 法は過酷なこともある | 【現実】 法は一律のルール(一般性)であるため、個別の事情を救えない矛盾を抱えている。 | 「両立不可能」の根拠。 法の形式的な適用が、かえって不正義を生む「法の限界」を指摘する。 |
そこで小論文の答案では、次のような議論に繋げていくことができます。
- 法は正義を目指して設計されているが、常に正義を実現できるとは限らない
(なぜなら法=正義ではないから) - その結果として、法の「過酷さ」が問題になる場合がある
- それでも法は、無秩序な状態よりははるかに望ましい「善と衡平の術」である
それでは2つ目の引用文を見ていきましょう。

「正義とは各人に権利を分配 」とは何か?
正義とは、各人に各人の権利を分配しようとする恒常不変の意思である。 法の掟とは以下のこと、 すなわち、誠実に生きること、 他人を害しないこと、 各人に各人のものを分配することである。 (学説彙纂 第1巻第1章第10法文 前文)
今回は言っていることは分かりそうですが、少し長い?です。
まずは全体の言い換えを試みた上で、少しずつ噛み砕いてみましょう。
・正義とは、どんな時でも「一人ひとりにふさわしい権利を認めよう」と決める強い心のことだ。そして法律の基本は、ズルをせず、人を傷つけず、それぞれが持つべきものを大切にすること、この3つである。
正義とは、一人ひとりが持つべき権利を、誰に対してもブレずに守ろうとする姿勢である。そして法とは、正直に生き、他人を傷つけず、それぞれにふさわしいものをきちんと分け与えるためのルールである。
・正義とは、人に対して、その人にふさわしい権利を分配しようとする、変わらない意思である。法の掟ルールは次の3つである:①誠実に生きること②他人を害さないこと③各人に各人のものを分配すること。
| 引用文 | 意味する内容 | 小論文での活用法 |
| 法は善と衡平の術 | 【理想】 法は、社会の良心と公平を実現するための手段。 | 「両立可能」の根拠。 法の目的そのものが正義の実現にあるとする立場。 |
| 正義=各人に各人のものを | 【定義】 正義とは、一人ひとりに「ふさわしい取り分」を正しく配分しようとする一貫した意思。 | 論述の「基準」として使用。何をもって「正義」とするかの定義をここから引用する。 |
| 法は過酷なこともある | 【現実】 法は一律のルール(一般性)であるため、個別の事情を救えない矛盾を抱えている。 | 「両立不可能」の根拠。 法の形式的な適用が、かえって不正義を生む「法の限界」を指摘する。 |
各人の権利を分配する恒常不変の意思
正義とは、各人に各人の権利を分配しようとする恒常不変の意思である。
まず、正義を「ルール」ではなく「意思(心構え)」として定義しているのが特徴です。
「恒常不変」とは、時と場合によってコロコロ変わらないということ。つまり、正義とは「その時々の気分で決めることではなく、『常に正しくあろう』という強い決意のことだ」と言っています。
2. 正義とは何か?「ふさわしいものを分ける」ことだ
この中で1番大事なのが以下の箇所です。2文目と合わせて2回も登場しています。
「各人に各人の権利を分配しようとする」
法学ではこれを「各人に各人のものを(Suum cuique /スウム・クィークゥェ)」と呼び、正義に関する最も有名で簡潔な表現と言われています。
これは難しく見えますが、意味はとてもシンプルです。
一人ひとりが持っているはずの権利を、きちんとその人に与えよう
という意味です。
たとえば、
- 働いた人が給料をもらう
- ルールを守った人が正当に評価される
- 差別されずに扱われる
- 試験の点数に応じて、適切な成績がつく
- 部活動で頑張った人が、相応の評価を受ける
- ある人の財産は、その人自身のものとして尊重される
言われてみれば当然な気もしますが、こうした「当たり前の取り分」を、正しく配る(返す・与える)ことが「正義」だと述べています。
法の掟とは以下のこと
2文目はなんとなく言いたいことは分かりそうですね。
小学生までに教えられる人間社会の基本といえそうですが、一文目と違って「法が人間に求めている態度」と読み取ることもできます。
法の掟とは以下のこと、 すなわち、誠実に生きること、 他人を害しないこと、 各人に各人のものを分配することである。
- 誠実に生きる:自分の良心に恥じない生き方をすること。ズルをしない。
- 他人を害しない:他人の体や心、持ち物を傷つけない。
- 各人に各人のものを分配すること(Suum cuique ) 先ほどの「正義の定義」の実行です。
小論文での役割と使い方
| 引用文 | 意味する内容 | 小論文での活用法 |
| 法は善と衡平の術 | 【理想】 法は、社会の良心と公平を実現するための手段。 | 「両立可能」の根拠。 法の目的そのものが正義の実現にあるとする立場。 |
| 正義=各人に各人のものを | 【定義】 正義とは、一人ひとりに「ふさわしい取り分」を正しく配分しようとする一貫した意思。 | 論述の「基準」として使用。何をもって「正義」とするかの定義をここから引用する。 |
| 法は過酷なこともある | 【現実】 法は一律のルール(一般性)であるため、個別の事情を救えない矛盾を抱えている。 | 「両立不可能」の根拠。 法の形式的な適用が、かえって不正義を生む「法の限界」を指摘する。 |
この定義は、小論文において「正義とは何かを決めるための基準」として使えます。
例えば、具体的な制度や事件を挙げたあと、
- 権利が適切に分配されている場合
→ 正義の定義にかなっている - 一部の人だけが過剰な不利益を受けている場合
→ 「各人に各人の権利」が分配されておらず、正義に反する
と言ったぐあいです。

「たしかに過酷ではあるが、 法律はそのように書かれている 」とは何か?
たしかに過酷ではあるが、 法律はそのように書かれている。(学説彙纂第40巻第9章第12法文 第1節)
いきなり「たしかに」で始まり、「何が?」と言いたくなる一文ですね。
「確かに(法律の運用は)過酷であるが」ぐらいに受け止めて、例によって言い換えてみましょう。
・確かにルールとしては厳しすぎるように見えるけれど、法律がそう決めている以上、従わなければならない。
・この結果が厳しくてつらいのは分かっている。でも、法律のルールはそうなっているのだから、その通りに適用せざるを得ない。
・どんなにその結果が冷酷で、目の前の人がかわいそうに思えたとしても、一度ルールとして決まった以上、それを曲げることはできない。
「法律はそのように書かれている」とは
- 法律は気分で変えられない
- その場の同情だけで曲げられない
- 条文として決められている以上、従うしかない
という法律にある、頑固さ・融通のなさを示しています。
言い換えると、法律は、"誰かの判断ではなく"書かれたルールによって動く、という事です。
| 引用文 | 意味する内容 | 小論文での活用法 |
| 法は善と衡平の術 | 【理想】 法は、社会の良心と公平を実現するための手段。 | 「両立可能」の根拠。 法の目的そのものが正義の実現にあるとする立場。 |
| 正義=各人に各人のものを | 【定義】 正義とは、一人ひとりに「ふさわしい取り分」を正しく配分しようとする一貫した意思。 | 論述の「基準」として使用。何をもって「正義」とするかの定義をここから引用する。 |
| 法は過酷なこともある | 【現実】 法は一律のルール(一般性)であるため、個別の事情を救えない矛盾を抱えている。 | 「両立不可能」の根拠。 法の形式的な適用が、かえって不正義を生む「法の限界」を指摘する。 |
なぜ「過酷」な法を守らなければならないのか?
「かわいそうならルールを変えればいいじゃないか」と思うかもしれません。
しかし、法が「書かれている通り」に適用されることには、社会を守るための重要な理由があります。
f「人によって判断を変えない」ため(公平性)
「この人はいい人だから許す」「この人は嫌いだから厳しくする」という個人の感情を排除するためには、書かれたルールを機械的に守る必要があります。
「何が起こるか予測できる」ため(法的安定性)
もし裁判官がその場の気分でルールを曲げたら、私たちは何を信じて生活すればいいか分からなくなります。たとえ厳しくても、「こうすればこうなる」という予測がつくこと自体が、社会の安心(秩序)に繋がっているのです。
いつくか具体例を考えてみましょう。
例えばこんなケース
身近な例として、
- 提出期限を1分でも過ぎたら0点
- 欠席日数が規定を超えたら単位不可
という校則があったとします。
先生も、「頑張っていたのは分かる」「事情があるのも分かる」と思っていても、「でも、ルールはルールだから…」と言わざるを得ないことがあります。
これが実社会だと、税金のルール、裁判での手続き、生活保護の条件などになってきます。
これらの手続きで「提出期限は○月○日まで」と法律で決まっていて、少しだけ遅れた人がいたとします。
- 本当はやむを得ない事情があった
- 遅れたのはたった数時間
- その人が救われるのはその手続きしかない
……といった事情があっても、法律が「期限を過ぎたら受理しない」「書類完備」と書いてある以上、受理されない。
これが「たしかに過酷ではあるが、法律はそのように書かれている」という状態です。
小論文につなげるなら
ポジティブにもネガティブにも解釈できる一文ですが、
ポジティブ解釈すれば、「法の過酷さは、法が公平であろうとするがゆえに生じる」との説明で使いやすい引用です。
あるいは、法律を文字通り守ることは、社会のルールを守るという意味で一つの「正義」です。
これを形式的正義と呼びますが、 「法が正義を実現するためには、たとえ個別のケースで過酷な結果になろうとも、あらかじめ決めたルールを厳格に守らなければならない側面がある」という議論に使えます。
ネガティブに解釈すれば、1文目の「善と衡平の術(バランスをとる技術)」とは逆の考え方です。
- 善と衡平: 個別の事情を汲み取って、バランスよく解決しよう!(優しい)
- 法律はそのように書かれている: 個別の事情は関係ない、ルール通りにやれ!(厳しい)
の対立として使い、論を進めましょう。
| 引用文 | 意味する内容 | 小論文での活用法 |
| 法は善と衡平の術 | 【理想】 法は、社会の良心と公平を実現するための手段。 | 「両立可能」の根拠。 法の目的そのものが正義の実現にあるとする立場。 |
| 正義=各人に各人のものを | 【定義】 正義とは、一人ひとりに「ふさわしい取り分」を正しく配分しようとする一貫した意思。 | 論述の「基準」として使用。何をもって「正義」とするかの定義をここから引用する。 |
| 法は過酷なこともある | 【現実】 法は一律のルール(一般性)であるため、個別の事情を救えない矛盾を抱えている。 | 「両立不可能」の根拠。 法の形式的な適用が、かえって不正義を生む「法の限界」を指摘する。 |
通常であれば、「正義の尊重と両立不可」の議論で、使うのが分かりやすいでしょう。
まとめ
- 法律は感情よりもルールを優先する
- その結果、過酷な結論が出ることもある
- それでも法は、恣意的な判断を防ぐために必要

設問の要求を整理する
以上を踏まえ、「法律の適用は正義の尊重と両立可能であるか」について、 両立可能とする立場・両立 不可能とする立場から、 それぞれ (経験や体験ではなく) 普遍的な例を論拠として示しつつ、800字以内 で客観的に論じなさい。
要求は次の4点です。
- 「両立可能」とする立場
- 「両立不可能」とする立場
- それぞれについて、経験談ではなく、普遍的な例を用いて
- 1つの答案の中で、客観的に論じること
解答例
解答例を記載しますが、以下2点を考慮してレベルを調整しています。
- 試験時間が60分
- 高校生でも解答可能
つまり、採点者が唸る高得点の答案ではなく、それでも十分合格点のくる無難な解答例を目指します。
もちろん、設問の要求(ローマ法三点の理解/両立可能・不可能の双方/普遍的な例/客観的論述)も満たすようにしています。
解答例1
法律の適用は正義の尊重と両立可能であるかという問いは、法律の理想と、実際に使われたときに生じる問題をどう考えるかという点に関わっている。ローマ法によれば、法とは「善と衡平の術」であり、社会をより良くし、公平を実現するための手段である。また、正義とは「各人に各人の権利を分配しようとする変わらない意思」であり、法の基本として、誠実に生きること、他人を害さないこと、そしてそれぞれにふさわしいものを分け与えることが示されている。このことから、法律の目的自体は正義の実現に向けられているといえる。
実際に、法律によって正義が実現されている例は多い。例えば、男女雇用機会均等法や障害者差別解消法は、性別や障害による不当な差別をなくし、一人ひとりにふさわしい権利を保障しようとする法律である。これらの法律があることで、不利な立場に置かれていた人々にも平等な機会が与えられるようになった。また、法律に基づいて政治や行政が行われることで、権力の乱用が防がれ、市民の権利が守られる。このように、法律が適切に作られ、正しく運用される場合、法律の適用と正義の尊重は両立可能である。
しかし一方で、法律の適用が正義と両立しない場合もある。ローマ法には「たしかに過酷ではあるが、法律はそのように書かれている」という言葉があるように、法律は決められたルールを一律に適用するため、個別の事情に十分対応できないことがある。例えば、法律が社会の変化に追いついていない場合、特定の人々の権利が認められない問題が生じる。同性婚が法的に認められていない状況では、同性カップルは異性カップルと同じ権利を持つことができず、正義の考え方から見ると不十分である。また、感染症対策のための法律では、多くの人の安全を守るために、一部の人に大きな負担がかかることもある。このような場合、法律の適用が正義から離れてしまうことがある。
以上より、法律の適用は正義と常に完全に一致するとは限らない。しかし、法律は正義を目指す方向性を本来持っており、社会の変化に合わせて見直しを続けることで、両立に近づけることは可能である。法律と正義は緊張関係にあるが、調整を重ねながら共に実現を目指すべきである。
(724字)
解答例2
法とは「善と衡平の術」であり、正義とは「各人に各人の権利を分配しようとする意思」である。法律の適用が正義の尊重と両立するかどうかは、すべての人に共通のルールを当てはめることと、一人ひとりにとっての妥当さとの間に生じる問題だといえる。以下では、両立する立場と両立しない立場の両方から考える。
まず、法律の適用が正義の尊重と両立する立場について述べる。正義が、一人ひとりにふさわしい権利を公平に分けることだとすれば、法律はそのための客観的な基準となる。例えば、男女雇用機会均等法は、性別による不当な差別をなくし、働く機会を平等にすることを目的として作られた。それまで不利な立場に置かれていた人々にも同じ基準が適用されるようになり、「各人に各人の権利を分配する」という正義が実現された。このように、法律が公平なルールとして働くとき、法律の適用は正義の尊重と両立しているといえる。
一方で、法律の適用が正義の尊重と両立しない場合もある。法律は社会全体の秩序を守るために、一律のルールとして作られているため、個別の事情を十分に考えられないことがあるからだ。例えば、1948年の国家公務員法改正では、公務員のストライキ権が一律に禁止された。これは社会の安定を目的としたものであったが、個々の労働者にとっては、正当な権利が制限された結果となった。「たしかに過酷ではあるが、法律はそのように書かれている」という状況では、形式的な平等が優先され、実質的な正義が損なわれることがある。
以上より、法律の適用と正義の尊重は自動的に両立するものではない。しかし、法律の目的である「善と衡平」を意識し、時代や状況に応じて解釈や改正を行うことで、両者を近づけていくことは可能である。
(724字)
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