慶應義塾大学文学2026年英語:言語は思考にどれほど影響力を持つのか?

  • 題名:Talk Sense ~
  • 著者:マンヴィル・シン / Manvir Singh (2025)
  • 単語数:2,100語程度

雑誌「ニューヨーカー」の2024年12月30日・2025年1月6日合併号がおそらく出典です。

The New Yorker Magazine - December 30, 2024 - January 6, 2025

ニューヨーカーは「ライ麦畑でつかまえて」のサリンジャーや「ティファニーで朝食を」のトルーマン・カポーティを輩出するなど、いわゆる"知的な"読み物を掲載する雑誌です。

出題のタイトルは"Talk Sense"となっていますが、真のタイトルはこちらといえるでしょう。

Annals of Inquiry

How Much Does Our Language Shape Our Thinking?

English continues to expand into diverse regions around the world. The question is whether humanity will be homogenized as a result.

December 23, 2024

----------------------------------------------------

探究の記録(*編集注:The New Yorkerのコラムの名称、朝日新聞の「天声人語」的な)

私たちの言語は、私たちの思考をどれほど形作るのだろうか?

英語は、世界中の多様な地域へと広がり続けている。その結果として、人類の思考や文化は均質化してしまうのだろうか。それが問われている。

2024年12月23日

ここまで読むと、少し入試英語あるあるのテーマになってきました。

いわゆる言語学や言語論の話で、少数話者の言語消失や共通言語としてのリンガフランカがテーマになってそうです。

この辺は、ポラリスやルールズをはじめ、多くの長文問題集でも扱われているテーマとなっています。

白って200色あんねん

一方、言語が思考を規定する、の部分は初めて聞いた受験生もいたかもしれません。

近代言語学の父と呼ばれたソシュールは、「言葉が世界を分節する」と言いました。言い換えると「言葉が存在しないものは認識できない」のです。

アンミカさん有名な言葉に「白って200色あんねん」とありますが、それぞれの名前と違いを認識しない限り、200色を見分けることができません。

雨の多い日本では、夕立、霧雨、五月雨、時雨、狐の嫁入り、など様々な雨の名称があります。しかし、雨が少ない国では、ここまでの分類はせず、ざっくり空から水分が落ちてくる現象、と一括りになっているかもしれません。

この様に、言葉は人間の認識に大きな影響を与えます。今回の文書は、言語体系によって思考まで変わるのか?といった内容です。

有名な話だと、英語には未来形が存在しますが、中国語には未来形が存在しません。(語形変化がないだけで、もちろん未来の表現方法はあります)

そういった言語的特徴が、考え方まで規定するのか?という話です。

映画「メッセージ」で1発で理解できる

今回の考え方、思考フレーム、概念的な部分の理解が難しかったら、"お菓子の ばかうけ"みたいでお馴染みの映画「メッセージ」を見てみてください。

ほぼまんま今回のテーマを扱っています。言語学者の主人公が地球外の言語を獲得していく過程で、世界の見え方や認識も変わっていく話です。

映画自体もめちゃめちゃ面白いです。

元ネタを見てみると、実は出題されている箇所の、さらに前の省かれたコラムがあります。

読み物として面白かったので、和訳して紹介します。

私たちの言語は、私たちの思考にどれほど影響力を持つのだろうか?

— マンヴィル・シン

時間というものをどのように捉えるかといった基本的なことさえ、あなたの言語に特有のものかもしれない。

2010年、インドのウッタル・プラデーシュ州のある村に、新しい女神が現れることになった。高さは約2フィート(約60センチ)、青銅で鋳造された像だった。その姿はヒンドゥー神話の神々とはまったく似ていなかった。ドゥルガーの鮮やかなサリーやラクシュミーの豪華な宝石の代わりに、彼女はつばの広い帽子をかぶり、自由の女神のようなローブをまとっていた。ライオンや白鳥に乗っているのでもなく、彼女はデスクトップコンピューターの上に立っていた。剣や槍の代わりに、片手にはペンを、もう片方の手には、法的な平等を約束するインド憲法を持っていた。彼女の名は「アングレージー・デーヴィー(英語の女神)」であり、インドのダリット、すなわち「不可触民」のために作られたものだった。

*ダリット=不可触民:ヒンドゥー教カースト制度の外に置かれた被差別民。日本でも士農工商の他に穢多や非人の身分があった。

「英語の女神はダリットに力を与え、何世紀にもわたる抑圧から解放される機会を与えることができる」と、その創造者であり著名なダリット作家であるチャンドラ・バン・プラサードは宣言した。彼は英語をダリットにとって非常に価値のある資源と見なしていた。「英語を話すダリットが、溝や道路の掃除を期待されるだろうか?」と彼は問いかけた。「英語を話すダリットが、地主の農場で下働きをすることに満足するだろうか?」無神論者である彼は、英語をダリットのアイデンティティに組み込むためにこの女神を設計した。それによって、自分たちの人々を封建的で従属的な地位から、近代的で自立した地位へと押し上げようとしたのである。「英語を学ぶことは、世界がこれまでに見た中で最大の大衆運動となっている」と彼は書いている。

彼の言うことには一理あった。推定15億人、つまり人類の約5人に1人が英語を話しており、それは人類史上もっとも広く使われている言語となっている。英語は国連、NATO、世界貿易機関(WTO)、欧州連合(EU)で公用語の地位を持ち、「世界の支配的な共通語(リンガ・フランカ)」として君臨している、とローズマリー・サロモンは著書の中で書いている。

作成中

1~4段落

1段落

言語が思考に影響を与えること自体には、誰もが同意できるだろう。もし私が「ペットのアナグマを1匹と、カナリアを22羽飼っている」と言ったら、あなたは私の家庭生活について新たなイメージを持つはずだ。本当の問題は、言語そのものに、話者の思考の仕方に影響を与えるような特徴があるのかどうかである。たとえば、1か月間スペイン語で会話を続ければ、物がより「性別を持ったもの」のように感じられるようになるのだろうか?英語を話すことはヒンディー語を話す場合よりも、カースト意識を弱め、その代わりに資本主義的な考え方を強めるのだろうか?

2段落

今日、このような問いはたいてい、1930年代にイェール大学で言語学を学んだ火災保険の査定官、ベンジャミン・リー・ウォーフと結び付けられている。歴史は彼に対して、親切でもあり、不親切でもあった。一方で、彼の名前は言語が思考に影響を与えるという理論の代名詞となったが、この理論自体は少なくとも1世紀前から存在していた。他方で、彼に帰されることの多いその理論のバージョンはあまりにも過激であるため、現代の学者の多くは、たとえ名誉であってもそれを自分のものとはしたくないだろう。

3段落

ウォーフは、「習慣的思考と行動と言語の関係」という論文の中で、自らの見解を示した。英語話者が時間を、数量化したり分割したりできる「物」のように語るのに対し、ホピ語話者は時間をより連続的な過程として捉える(とウォーフは考えていた)という違いを対比し、こうした言語の違いが、それぞれの集団の時間の流れの理解の仕方の違いに寄与しているのではないかと示唆した。彼の主張は大胆ではあったが、同時に慎重でもあった。彼は言語と行動の間には、単に「追跡可能な類似性」があるだけで、決定的なものではないと述べ、「相関関係のような明確なものが存在するなどと主張するつもりはまったくない」と強調していた。

4段落

残念ながら、そうした微妙な違いはたいてい忘れ去られてきた。その後ウォーフは、言語決定論――すなわち、言語こそが思考の最終的な裁定者であるとする立場――のマスコット的存在となった。しばしば「ウォーフ主義」と呼ばれるこの考え方は、すぐに不条理へと行き着く。もしあなたの言語に適切な未来時制がなければ、明日という概念は考えられなくなるだろうし、特定の感情を表す言葉がなければ、その感情を決して感じることはない、というのである。この論理に従えば、言語を持たない前言語期の乳児やオランウータン、その他あらゆる言語能力を欠く生物は、多くの基本的な精神活動を行う力を持たない、ということになってしまう。

5~7段落

5段落

ウォーフ主義は、執拗な批判の的となってきた。ハーバード大学の認知科学者スティーブン・ピンカーも、ウォーフ的誤謬について多くを語っている。彼は、適切な言葉を探す経験や、すでに抱いている直感に新しい名称を与える経験といった、ごくありふれた体験を挙げ、言語が常に思考に先立つという考えが成り立たないことを示した。著書「言語を生みだす本能」(1994年)の中で、彼はウォーフ主義は「間違っている、全面的に間違っている」と結論づけている。

6段落

それは、ウォーフの議論の最も強い解釈について語っているのであれば、公正な評価だろう。しかし、最新の研究から浮かび上がってくる全体像は、より複雑である。ウォーフ主義は間違っている。だが、完全に間違っているわけではない。

7段落

「私のそれぞれの言語は、独自の音のパターンや語の配列方法を持つだけでなく、固有の社会的習慣や、何を許し、何を非難し、何を崇めるかについての判断基準も伴っている」と、ジュリー・セディヴィは「言語愛好家:言語を愛した人生」で書いている。かつてチェコスロヴァキアだった国に生まれたセディヴィは、オーストリアとイタリアを行き来する「言語的混沌(ベドラム)」の中で育ち、その後モントリオールに落ち着いた。幼稚園の頃までに五つの言語に親しみ、その後、人がどのように言語を習得し処理するのかを研究するようになった。

彼女の本には科学が満ちているが、それは一つの認識の方法として、個人的経験と共存している。その結果生まれた本は、標準的な科学解説書というよりも、言葉を愛し、飼いならし、そして忘れていくことについての熱烈な瞑想録のような趣があります。彼女は、自分が話す異なる言語が、それぞれ異なる認知スタイルと結びついていると感じており、それらをスポットライトを奪い合う複数の人格に例えています。

「私はいくつもの声が重なり合う不協和音であり、それらは互いに影響を及ぼし合い、時には助け合い、時には邪魔をし合いながら、常に自らの縄張りを争っているのです」と彼女は書いています。

作成中

投稿者

GOKO編集室
GOKO編集室
GOKOでは慶應義塾大学に進学したい受験生のために、役立つ情報の発信をおこなっています。こんな記事が読みたいなど、希望がありましたらお問合せページよりご連絡ください。